代表取締役:
ダグラス・ライオン
(Douglas E. LYON)
代表取締役、アフリカやヨーロッパ担当撮影コーディネーター。米国カリフォルニア出身。日本語、フランス語を殆ど母国語のように話す。英語は言うまでもなく!(中国語も本来話せるけど,最近はあんまり使うチャンスがない。) 日本に2年、中国に1年滞在(留学:雲南大学)、そしてフランスには1982年より在住。既に、世界70ヶ国以上を訪問。
ジャーナリスト・コーディネーターとして、ファッション通信(TV東京)の制作を数シーズンに渡り担当。その後、TV番組制作業界での経験を生かすためフリーランスに転向し、「なるほど!ザ・ワールド」(フジ・TV)始め、数々のバラエティ番組(日本TVの「電波少年」、「ネプ&イモトの世界番付」)などの制作に参加しました。
世界ウルルン滞在記(TBS)のロケ、7ヶ国分のロケ・コーディネーターを担当、また2年間に渡る「ワールド・アップリンク」(フジ・TV)の番組制作へのコラボレーションにより、およそ200回におよぶロケ撮影と衛星生中継の番組を提案、企画、そしてコーディネート全面を担当しました。
「ヴァン・ゴッホの謎」(ユネスコ賞)はフランス2とフジ・TVのためのTransparences Productions 社との共同制作(フジ・TV側のプロデュースを担当)、また Ellen Von Unwerth 氏の監督によるパルコ(デパート)のコマーシャル・フィルムの制作なども手がけ、次第に制作ディレクターから現地プロデューサーへとその活動を拡げて行きました。
弊社のn「実績」ページの99.9%は基本的に彼本人の実績と重なっています。(「実績」ページ上で、彼の実際に現場に行っていないロケは二つのみ!)これまで60以上の国で日本のTVの為の撮影コーディネートおよびディレクターとしての実績があり、延べ回数はこれを大きく上回ります。特にマリ共和国、エチオピア、ニジェール、ナイジェリア、ベナン、ジブチ、コンゴ民主共和国、ガボンなどは、ロケのため現地滞在が3週間を越えるものが多かったこともあり、その国々を知る良いきっかけになっています。 海外ロケコーディネートを通じ各国にとても良い人脈を構築することも可能となりました。
エチオピアからグリーンランド、チェルノブイリからナイジェリア、南アフリカからフィンランドやノルウェーの北極圏乗る、アイルランドからイスラエル、レバノン、そしてトルコまで!
現在弊社は60ヶ国以上での取材コーディネートや撮影コーディネートの実績がありますが、実際に取材コーディネートの取扱の出来る国は当然それよりも多いです! ロケコーディネートを通じ各国にとても良い人脈を構築することができるのは、大きな財産です。
ライオンとアフリカ大陸の出会い:
エクセルマン・プロダクションズのアフリカロケはすべて、ライオン氏自らが担当しています。弊社が今までさせていただいたアフリカ撮影ロケの仕事の現場コーディネーションの99%がそうです。単独で日本のTVのためのアフリカ取材(現地取材や撮影ディレクターとして)、又は取材コーディネートでアフリカの国々へ訪れた回数は、なんと全部で合わせて80回以上になります。(エチオピア6回、ナイジェリア6回、ニジェール5回、ガボン5回、マリ7回、セネガル7回、ベナン5回等)。そしてマラリアにも20回感染!
1994年、ルワンダ内戦が勃発し、日本の自衛隊がザイール(現コンゴ民主共和国)に入りました。 その際、ライオン氏は、当時のTV幹事局であったTV朝日からの依頼で日本の報道プールの現地コーディネートを任せられました。
そこは、世界一危ない火山と言われているニーラゴンゴ山の足元で、深い穴だらけの滑走路には、飛べないボロボロの飛行機が散らばっていました。そんな壊れた機体の中で現地の人たちは生活を強いられ、子供達は滑走路を走り回り、誰れが一番最後に、動く飛行機の機体に直に手で触れる(タッチ)かを勝負するゲームをして楽しんでいるという悲惨さの中では、衛生環境も最悪な状態で、マラリア、チフス、赤痢が流行り、当時のTBSパリ支局のスタッフ全員が肝炎を患ってしまうほどでした。
機関銃の音が鳴り響く毎日、道端には死体が散らばっているという状況の中で3ヶ月半、ライオン氏は日本の報道プールの仕事をし、プールの撤収後は、現地にそのまま残り、日本のTVの報道取材番組、ニュース・ステーションなどの現地取材コーディネートを行いました。
プールの仕事は、TV各局の仕事であって、期間が長く、ローテーションでそれぞれの局が交代でプールに入って報道の仕事をしますが、例えば、ロンドン支局から来たスタッフが帰り、ベルリン支局のスタッフが入るというように、日本の各TV局の支局長も順番にプールに入って現地の報道取材をするわけです。
そんな状況下で、ライオン氏は、日本のTV各局の様々な人たち、各局の各地支局長、また日本から来たプロデューサー、ジャーナリスト、記者たちと共に危険と隣り合わせの中で、仕事をすることによって、日本のTV各局から彼のアフリカでの業績が認められ、注目されるようになったのです。そしてそれ以来、アフリカでのロケのコーディネーションといえば、パリのエクセルマン社のライオン氏と言われるほど、日本のTV各局からアフリカ大陸での取材コーディネートの第一人者して認識されながら、仕事を続けています。
ライオン氏がなぜアフリカにこだわるのか?アフリカが好きなのか?というと・・・
ルワンダ内戦(難民危機)の当時、ザイールでプレスプールの仕事をしていた時、次の仕事の予定であった、日本TVの電波少年という番組のスタッフルームに、現地ザイールから電話をしました。その電話で「チーフディレクターの〇〇さんいらっしゃいますか?」と電話口で言うと、電話に出た番組制作スタッフに「どちらさまですか?」と聞かれたので、彼は「アフリカのライオンと申します!」と言ったら、いたずら電話と勘違いされ、ガチャンと電話を切られてしまったそうです。
改めて15分後に電話をしたところ、奥からチーフディレクターの声が聞こえ「何!?ライオンからの電話があったのに、電話を切ったの??」と言う怒りの声が聞こえてきました。その時、ライオンという名前、アフリカにいるライオンという、ダジャレのようで楽しいな・・・と思ったものです。その名の通り、アフリカのライオン。彼の名前からしても、アフリカとの縁、アフリカとの強い繋がりを感じます。
このようなライオン氏とアフリカ大陸の出会いから、彼のアフリカでのロケのコーディネーションに対する想いは、長い年月の経験と彼の情熱によって、そのままエクセルマン社の得意とする、特化した分野のひとつとして、業界では知られています。
エクセルマン・プロダクションズには、Douglas E. LYON の他、彼のもとに集まる常勤の協力者(Albert LALOY)が一人います。各自様々な分野での活動経験を持ち、弊社のアイデンティティーを形作るスタッフとなっています。